校章の由来・創立
校 章 の 由 来
豊田は、「みづほの国」です。三種の神器と
稲穂をあしらい図案を画いてみよう。
昭和10年のこと、森岡先生は、高等科の生
徒に小さな画用紙を渡しました。生徒は、一生
懸命知恵をしぼりました。
先生も描きました。できあがった図案を大阪
の専門家のもとへ送ったところ、先生の作品が
特に優れているとして高い評価を受け、左の作
品を校章と定めました。
男子は帽章に、女子は胸章として通学したの
を誇りとしていました。
(当時の生徒の談話より、ちなみに1個25銭)
創 立
明治44年6月25日、音更第八尋常小学校(現在の東士幌校)の所属として、
中士幌東8線57番地、平田徳兵衛所有地に特別教授場を設置し授業を開始しまし
た。 当時、児童は僅か10名、代用教員が担当しました。開始式には、村長代理
書記、校長、来賓らが出席されたと記録されています。
大正に入って、6月15日に独立し中士幌教授場となり、東8線67番地に校舎
が建てられ、大正7年12月3日には中士幌尋常小学校となり、更に昭和4年2月
7日には、中士幌尋常小学校と伊怱保小学校が合併し、校舎も音更村字中士幌東4
線27番地の1に移し、豊田尋常小学校と改称され現在に至っています。